実写版ライオンキングが注目を集めている中、再びアニメ版のライオンキングにも脚光が当たっている。
そんな中でディズニーアニメの中でも歴代興行成績のトップクラスであるアニメ版が実は手塚治虫の「ジャングル大帝」をコピーしたのではないか、といった議論が最熱している。
そこでこの記事ではライオンキングとジャングル大帝のパクリ騒動、両作品の類似点、そして手塚治虫のウォルトディズニーの関係について紹介する。
ジャングル大帝のアメリカでの人気
手塚治虫のジャングル大帝は、1950年に発表された漫画作品で、それから15年後の1965年に日本初のカラーによるアニメシリーズとしてテレビ放送がスタートした。
一方、アメリカでは翌年の1966年に「Kimba the White Lion」というタイトルで放送されている。レオの名前は、アメリカではキンバに変更されているのが特徴だ。ちなみにライオンキングの主人公の名前はシンバ。両作品の類似点が指摘される理由の一つだ。
ちなみに日本では大ヒットしたジャングル大帝はアメリカのみながら世界中で放映されている。
もちろんアメリカでは日本ほどはヒットはしていないが、それでも1966年から2009年まで複数回にわたって再放送が行われるなど、根強い人気を誇っている。
手塚治虫の死とライオンキングの誕生
しかしながらジャングル大帝レオの生みの親、手塚治虫は1989年に60歳でこの世を去る奇しくもその一年前の1988年にアメリカではディズニーがある映画の製作をスタートさせた。そう、ライオンキングだ。
ディズニーはそれまで数々のアニメ映画をヒットさせていましたが、いずれも原作があった。しかしライオンキングについては初めてのオリジナル作品として売り出したのだ。
そしてストーリーに強く影響を与えたのはシャークスピアのハムレットだ、と公表している。ディズニーアニメのバンビにハムレットを足して、アフリカを舞台にした作品がライオンキングだ、と宣伝していたのだ。
ジャングル大帝とライオンキングの類似点
ライオンキングのプロットは、動物の王である父親を失った子供のライオンがジャングルに放り出され、ほかの動物の力を借りながらも自立し、大きくなって再び王の座を奪還する、というもの。
一方でジャングル大帝は、ジャングルの王として君臨していた父親が人間の手によって殺され、人間に捕まった母親が息子のレオを船から脱出させ、レオが一人でジャングルに戻っていくストーリーになっている。
そして1994年にライオンキングが劇場公開されると、プロットが似ているのはもちろんのこと、両作品にたくさんの類似シーンがあるといった指摘が飛び交うようになったのだ。
しかしながらディズニーはこれを真っ向から否定した。それもライオンキングの製作スタッフはそもそもジャングル大帝レオのことを一度も見たことがない、などというのだ。
これに対して、日本側は藤子不二雄をはじめとする多くの漫画家が署名を添えて、ディズニーに対して質問状を送る事態にまで発展した。
手塚治虫とウォルトディズニー
しかしながら、手塚治虫の遺族はディズニーを訴えないことに決める。というのもそもそも手塚治虫は「尊敬する映画人」に手塚治虫はチャップリンとウォルトディズニーを上げるほど、自他ともに認めるウォルトディズニーのファンだったからだ。
手塚治虫の遺族は、ディズニーのファンだった手塚治虫がもしライオンキングの一件を知ったら、怒るどころかむしろ光栄に思うはず。文化は模倣によって成立するんだし、ディズニーバッシングに加担はしたくない、という気持ちから、大ごとにせずにすべてを丸く収めたのだった。
ちなみに手塚治虫はディズニーアニメのバンビを百回見たと公言しているほどで、ジャングル大帝がバンビの影響を受けたとも話している。それもあってか日本でバンビの漫画化を手掛けたのも手塚治虫本人だ。
つまりは、もし手塚治虫の影響を受けて生まれたのがライオンキングだとしたら、ディズニーの影響を受けて完成したのが手塚治虫のジャングル大帝だったのだ。
世間でパクリ疑惑と騒がれている作品の裏では、実は日米の天才がお互いにインスパイアしながら世界のアニメ業界に貢献していたのだった